COLUMN

コラム

認知症の「周辺症状」と決めつける前に知っておくべきこと

ご本人と家族の不安

ご本人と家族の不安

認知症の専門外来に来られる人々を、今、次の3つの類型に当てはめることができると思います。

  1. 1.家族やケアの専門職に連れられてくる人。
  2. 2.家族や友達にお願いして付き添ってもらってくる人。
  3. 3.認知症が気になって1人で来る人。

1のうち、家族が専門外来に連れていく姿って、どんなものなのでしょうか。 仮想的な事例を紹介しましょう。足立浩二(仮名)さん、78歳。仕事を持つ娘、佳子(仮名)さん、50歳と2人住まい。 これまでうまく切り出せなかった話を父親に、「今日こそしよう」と。

「最近、よく物忘れするよね」
「いやあ、そんなこと、ないな」
「いつも同じこと私に聞いてくるの、忘れたの」
「年取れば誰だって、物忘れはあるよ。頭は問題ない」
「おとうさん、自分で物忘れがあるのが、わからないの」
「しつこいなあ、もの忘れはない!」

普段はあんなに穏やかだった浩二さんが、声を荒らげたことに、逆にびっくりしてしまいました。
佳子さんは「いつ受診につながるのか」と不安がよぎります。父親への心配は、仕事中でも頭から離れることはないでしょう。一方、浩二さんには不安がないかといえば、そんなことはなさそうです。
この「物忘れ」の指摘で深く傷ついてしまったようです。
認知症医療のひとつの役割は、2つの不安を統合することかもしれません。浩二さんの抱える「物忘れ」の医学的実態をつかむことも大切です。

イメージを乗り越えられるか

イメージを乗り越えられるか

藤田和子さん、という認知症とともに生きる人がいます。 ある大きな研究会でお話をされた中で印象的だったのは、「物忘れそのものが問題ではない」という発言があったことです。暮らす上での重大な障壁は、別にあるんだ、ということだろうと思います。 私は、それを「社会心理環境」といいます。それが浩二さんと佳子さんの2人の関係に大きく影響しているのだろうと思わざるを得ません。

後日、2人は受診にこぎつけました。浩二さんのMRIの画像検査の結果は、認知機能に関わる病変はありませんでしたが、脳の側頭葉の内側の海馬という部分が萎縮していました。 また長谷川式簡易検査とMMSEといった簡易検査では24点、26点でした。しかし詳しい検査をすると遅延再生の項目だけが失点してしまいます。 長谷川式もMMSEも、実はその項目部分だけが失点していました。したがってこの時点では、アルツハイマー型認知症と診断しました。

「診断ですが、今の時点ではアルツハイマー型認知症です。世間でいう、アルツハイマー型認知症のイメージは捨ててください。今はただ1点。記憶することが苦手になっているのみです。もし薬を飲むのなら、その効果を調べるためのADASという検査があります。それを半年から1年に1回受けることを勧めます。その結果を見て、薬の分量を調整しましょう」

記憶って、脳に外からの情報を『入れる、持っている、出す』です。浩二さんは、昔の記憶も鮮明に持っているし、それを引き出すことも問題なくできる。
つまり『持っている、出す』はOK。しかし、記憶することが苦手になっている。『どうしてまた忘れるの』といわれると、その記憶自体がなければ、言われた本人はそれを振り返りようがない。自分自身のよりどころが揺らぐ不安です。
本人からすれば、『言われていないのに言った』と目の前の人間から言われるわけですから。
言っているほうは気づかなくても、自分が気にしている分、深く傷つきます。
双方で心の折り合いを
佳子さんは、私に尋ねる。

佳子さん 「私はどうしたらいいんですか」
「言いたいときは、どうぞ、忘れていると言ってください」
佳子さん 「えっ、それじゃ、だめなんですよね」
「でも無理でしょ。ぼくが、『言うな』っていっても。でも、おとうさんの心の動きが少し見えれば、時間がかかっても、だんだん折り合いがつくようになって、うまいこと2人でやっていけるとおもいますよ」

認知症をもつ人々の内なる風景を丁寧に推し量る。
多くの場合、その人は自らの深い思いを口にはしません。その人が話してくれないとしても、その人の言うことを丁寧に聴いている態度が伝われば、その人との良好な人間関係を築けることを誰もが知っています。
自分の不安や期待で押し切るのではなく、1秒でもいいからその人の不安や期待に耳を傾ける。
数日後必ず、2人の関係はより良くなっています。認知症があろうがなかろうが。「周辺症状」というラベルを貼る前に知っておくべきことです。