「まだできる」「もうできない」の境界線
2026.08.18
認知機能の低下は、ある日突然「料理が一切できなくなる」というような極端な現れ方をするものではありません。多くの場合、ひとつの行為の中で「できること」と「できないこと」が入り混じり、本人にとっても、支える家族にとっても、最も判断が難しいグラデーションのような時期が長く続きます
例えば、こんな場面に心当たりはありませんか。
・ 買い物はできるが、セルフレジの操作に戸惑う
・ お金はおろせるが、各種変更などの手続きは難しい
・ 近所の病院へ行くことはできるが、薬の飲み忘れが増えた
・ 食事は作れるが、毎回味付けが変わる
・ 家の電話は対応できるが、携帯電話の着信には戸惑う
・ 見知った場所なら外出できるが、初めての場所では不安が強い(道に迷う)
・ 掃除機はかけられるが、周囲の整理整頓が難しい
なぜ、このような「できること」と「難しいこと」が混在する現象が起こるのでしょうか。
■ ひとつの行為に隠された「複雑な工程」
料理を例にして考えてみましょう。
料理という行為には、膨大なステップが存在します。献立を決め、必要な食材を判断し、店へのルートを選び、店内で目的の品を探し、レジで支払い方法を選択する。さらに帰宅後は、調理の順番を考えたり火加減を調整したりと、この一連の流れには記憶・判断・空間認識といった脳の高度な機能が総動員されています。
このように、ひとつの行為をいくつかの工程に紐解いていくと、すべてが一度にできなくなるわけではないと気づきます。最初は「レジの操作」や「火加減」といった単一のステップでつまずくことから始まり、それが少しずつ増えていきます。これこそが、認知機能がゆるやかに変化していくことによる「グラデーション」の時期なのです。
しかし、こうした認知機能の変化を理解していないと、周囲は戸惑ってしまいます。「以前はできたはずなのに、どうして今日はできないのか」と、本人の「ムラ(気分ややる気の問題)」のように見えてしまい、意地悪や「わざとやっているのではないか」と誤解を生んでしまうことも少なくありません。
でも、それは気分の問題ではなく、できる・できないの状態がまるでモザイク模様のように細かく入り混じっているからこそ起きる現象なのです。
■ 「できる」と「できない」の間にある大切な時間
様々なコラムでもお伝えしてきた通り、認知機能の状態もまた、白黒はっきり分けられるものではありません。そして、「できる」と「できない」の間には、「工夫や少しの助けがあれば、安心してスムーズに行える」という非常に大切な期間が存在します。
この時期は、本人とケアする人の関係性を再構築するチャンスでもあります。「失敗を責める」のではなく、「どうすればできるか」という工夫と支援に視点を切り替えます。
■ 「境界線」のグラデーションに気づき、その人らしい暮らしを支える
認知機能の低下は、きれいな階段を一段ずつ下りるようなものではありません。モザイク模様のように、できることと難しいことが入り混じりながらゆっくりと変化していきます。
私たちが大切にしている「生活の延長線上にある支援」とは、まさにこのモザイク模様に寄り添うことだと思っています。そのグラデーションのような境界線に気づいたとき、支援は単なる「手伝い」から、「その人らしい暮らしを支える」という一段深いものへと変わります。
「できなくなったこと」ばかりに目を向けるのではなく、「まだできること」の輪郭を一緒に探していく。そんな丁寧な伴走を、これからも続けていきたいと考えています。
■執筆者情報
この記事は、医療法人バディ公式LINE「ケアコミ」の内容を引用しております。
医療法人バディ 認知症部門副部長
廣島真柄(言語聴覚士・認知症ケア専門士)
都内の総合病院に言語聴覚士として15年以上勤務。主に急性期病院で脳卒中、神経難病の患者のリハビリを担当しながら、認知症疾患医療センターでもの忘れ外来の検査や入院患者の認知症ケアを担当。2021年に医療法人バディに入職。コミュニケーションを主軸とした認知症の非薬物療法に取り組む。
医療法人バディ https://buddymedical.jp/
2019年設立。横浜市、鎌倉市に3つの脳外科クリニックと認知症部門を展開。2023年より、居宅介護支援事業、訪問リハビリ。2024年より訪問看護部門を開設。
